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ファロー根治術

1歳、12kgのファロー四徴症。ギリシャからのプライベートの患者さん。手術はH先生、僕、Iさん。肺動脈弁輪のサイズはぎりぎり正常範囲内なので、温存する方針。弁は2尖弁で、交連切開。右室流出路は三尖弁と肺動脈弁の両方から切除。心室中隔欠損はいつもどおりダクロンパッチで閉鎖。肺動脈は自己心膜で拡大して、手術終了。

手術の前から、最後のH先生名物『F○CK』が聞けるね〜とみんな言いにくるけど、さすがに、最後の日だからおだかやかに手術するんじゃないの〜と言い返していると、麻酔科の教授まで、『そりゃ、さみしいな〜』って。『F○CK』が聞けないのが寂しいのか?僕がいなくなる事が寂しいのか?訊くと凹むのでそこは曖昧のまま。

案の定、今日は抑えたH先生が淡々と手術。僕も特に大きなミスもなく、順調に進行。人工心肺も離脱して、止血をしていた。もう、さすがにないな、と思っていたら、左上大静脈のカニューレ挿入部からすこし出血。H先生は縫合して止血しようとしたけど、珍しく止まらず。周りの組織を剥離して、突っ張りをなくそうとしたら、小さな枝を切って出血。

『F○〜〜〜〜〜〜CK!!!!!』

スクラブナースの看護婦さんはガッツポーズしているし、麻酔科の先生は『でた!!』とか言うし。H先生以外は、手術室のみんなが嬉しそうに笑って、僕に目を合わせてきた。



最後に聞いた『F○CK』は、世にも幸せな『F○CK』でした、とさ。








めでたし、めでたし。
















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いろいろあって いろいろあった Fontan手術

13歳、50kgのフォンタン手術。インドネシアから来たプライベート(全額自費)の患者さん。cc-TGA、VSDといろいろで結構ややこしい診断だったけど、両心室ともに割と大きさがありVSDと房室弁の位置次第ではFontanではなく、両心室修復を目指す予定で手術に。元々の予定は,H先生、C先生、P先生だったけど、ベルギーの病院の小児心臓外科のボスが来ていて、それとほかにもいろいろいろいろあって、月曜日だからそれはいつものことなんだけど、なぜか、H先生、P先生、このゲストボスで手術をすることに。再手術の大きい子だったので、P先生が手伝って〜と言うものだから、仕方なく胸開けまで手伝った。僕は、秘書さんの勘違いで手術が当たってなくて、今朝、病院に行く前になぜか朝食を全部嘔吐してしまい(二日酔いではない!!!)、そんなに体調も良くなかったので、開胸の手伝いくらいなら、と手伝った。手術は結局、Fontan手術になった。H先生も手を下ろした後、手術室に行った。P先生が次の手術の術者に当たっていたし、親近感のあるインドネシア人だし、オレが胸を閉めるから、手を下ろせ〜!!と宣って、ゲストボスに少しだけ手伝ってもらって閉胸をした。

ゲストボスには、丁寧にお礼をして、早々に手を下ろしてもらおうとした。彼は、もう少し訊きたいことがあると言って、そのまま手伝ってくれて、手術中の細かい事を質問した。僕は、どの質問もよくわかったので、詳しく説明した。しかし、さすがに申し訳ないので、後は手術の後にコーヒーでも飲みながら話しましょう、と言って手を下ろしてもらった。いろんなボスがいるけど、こんなに腰が低くて熱心なボスは初めてだった。

胸を閉めて、ICUでご両親に『Selamt siang!!(こんにちは)』とインドネシア語で挨拶して、手術のことを説明した。頭の片隅においてあったインドネシア語が出てきて良かった〜。どうして、わざわざインドネシアから来たんですか?と訊いたら、ハラパンキタ病院の”大きな”循環器内科の女医さんが、ここに知り合いがいるからって。そうなんだ〜。誰なんだろう?と思いつつも、手術の説明をして、手術室に戻った。

手術室に行くと、ベルギーのゲストボスが、待ち構えていたように話しかけてきた。ベルギーはブリュッセルから来ているので、母国語はフランス語。そういう関係もあり、どうやら手術前に心臓先生が病院内を案内したようで。『君はアフリカのえ〜っと、なんといったけな、アフリカの。。。』『あ。ブルンジに行きます』と答えた。『ここではたくさんのことを学んだし見てきたので、それを今度は自分でやってみたくて。心臓先生にビッグなチャンスをもらいました』と付け加えた。ゲストボスは、『おめでとう。本当に素晴らしいよ。君の成功を祈るよ。君のことはよく知らないけど、君はできると思ったよ。』と言って、びっくりするくらいの力で僕の手を握ってくれた。

僕はまだなにもしていないし、ここにいるとどちらかというと、『裏切り者』か『クレージー』扱いされる事が多い。もちろん、みんな冗談でからかっているだけの話だし、その裏にはちゃんと思いやりや、できるなら残って欲しかったと思ってくれている人もいることはわかっている。だから、こんなに真っすぐに、賛辞を言われたことはない。




2010年6月29日にドイツに来た。その年は異常気象で毎日35℃を越える猛暑だった。ワールドカップでスペインとドイツの決勝に、ドイツが敗れた暑い夏だった。同じ年の9月1日から病院に通い始めた。午前中は病院、午後に語学学校で、手術は見学しかさせてもらえなかった。見学だけは辛かったけど、それでも毎日、病院に行き続けた。必死で頭の中に手術のやり方と、それぞれの人の動きと、道具の名前を頭に叩き込んだ。周りのみんなは、こいつは何者だ?といぶかしがっていた。2010年10月18日に、突発的な出血で、たまたまその時に人がいなくて、心臓先生に『手を洗え』と言われて、心臓先生の開胸の手伝いをしてそのまま2助手に入り、その日から暗黙の了解で手術に入る事になった。その頃は、怪しげな外国人でしかなく、『しゃべれない』『わからない』けど、助手はできる変な日本人だった。親しくしてくれる人はもちろんいなかったし、話しかけてくれる人はいたけど、答えようと変なドイツ語で話すとしかめっ面をされて、悲しくて悔しい思いをした。手術に入るようになって、僕が『できない奴』じゃないということを、かなり長い間、観察した後に周りがようやく結論してくれた。





最初の頃、ずいぶん長い間、僕はひとりだった。僕はだれでもなかった。いてもいなくてもいい存在だったし、誰かと対等に話せることなんかなかった。とにかく、孤独だった。それでも、ひとりで一生懸命に歯を食いしばって、手術に向き合っていた。


それから、3年。『留学してこんなに手術した』とか『留学してこんなに素晴らしい実績をつくった』とか、自慢できることは何一つないし、たいしたこともしていない。でも、あの時に、僕を手術の中にいれてくれた(今思うとわざと軽い出血を作って、人のいないときにわざわざ大騒ぎしたんじゃないかと疑惑をもっている)心臓先生のお陰で、ベルギー人のゲストボスにもこの病院のなかの一員として話をしてもらえたことは嬉しかった。このヨーロッパの世界で、心臓先生と僕のやろうとしてくれることを評価してくれて、Congratulation!!と賛辞を贈ってくれる人がいるという事に、正直、驚いた。僕は、まだなにもしていないのだけど。




3年という時間はあっという間だったけど。3年という時間は途方もなく長かったけど。僕はここで生きてきたんだな。そう思った。僕が生きた証は、実績としては何も残らないけど、僕はここの一員になれた。これは、誰にも評価されないけど、僕の中では大きな成果。『誰でもない』外国人の僕は、もうここにはいないのだから。





ゲストボスに別れを告げて、いつも通りに手術室の更衣室でシャワーを浴びている時に、ふと気がついた。インドネシアの”大きな”女医さんの知り合いって、もしかして、僕?あの人ととは、インドネシアの最後の晩餐の時に隣に座って、汗をかきながら、いかに僕の病院が素晴らしいか、酔った勢いで話した気がする。その時は、インドネシアで働くのも悪くないな〜と思っていたから、そんなことも言ったっけ。








はは〜ん。あの”大きな”女医さん。もしかしてだけど〜、もしかしてだけど〜、僕にインドネシアに来てほしんじゃないの〜!!




























Fontan手術

13kgの三尖弁閉鎖症で、今回はFontan手術。手術は、A教授、僕、L先生。いつもどおり、18mmのグラフトで。三尖弁閉鎖だからFenestrationはなし。そもそもの大血管の位置関係がTGAのように前後ろなので、大動脈の背後に大きなスペースがあって、割と肺動脈の中枢側に吻合したのだけど、それでも結構スペースに余裕があった。手術場で抜管して終了。

もともとの予定は、L先生が1助手で僕が2助手だった。もちろん、L先生が胸を開けるのだけど、開け始めてから、『何の病気だったっけ?』と聞き出すしまつ。この子は無名静脈が閉鎖していて、その近くのそこらじゅうの静脈が側副血行路になって左半身の静脈血をGlenn吻合に運んでいるので、開胸の時から気をつけていないといけないな〜と思っていた。う〜ん。大丈夫かいな。と不安に思ったので、もういなくなるしいいや、と思い、今までは何も言ってこなかったけど、『ほら、ここに静脈があるよ〜』とか『あ〜その層は浅すぎだよ〜』とか『このラインを剥離してね〜』とか、誘導しながらやっていった。相手は僕よりも立場が上だし、プライドも傷つけちゃいけないと思っているのだけど、なんとなく、この人は僕の誘導を頼りにやっているな、というのが伝わってきて正直、寂しかった。僕はこんな人にポジション争いで負けたんだよな〜。

L先生はH先生、L先生、僕のように手術の予定が組まれている時には、必ず、『開胸と剥離は自分がするから、遮断鉗子が1助手をしてよ』と頼んでくる。L先生はH先生の手術にはなかなかつかないこともあって、必ずH先生の逆鱗にふれ手術は大炎上する。それが嫌なのか、2助手の位置からゆっくり手術がみたいなのか、なんなのかわからないけど。きっと、僕が1助手をやったほうがうまくいくに決まっている。だけど、開胸だけやって1助手は押し付けるという都合のいい事は許せるか、とさすがの僕もぎりぎりのプライドがあるので、開胸をやった人が1助手もやりましょ〜!!と笑顔で答えている。

今日はA教授だから、そんな事言わないな〜と思っていた。さすがに言うはずがない、とこちらも油断していた。A教授が来て、L先生はちょっと手を下ろしていいか、A教授に尋ねると、そのまましばらくどこかに行ってしまい、その間は僕が1助手をしていた。しばらくして帰って来たら、L先生は、『遮断鉗子、そのまま1助手をやってもいいよ』と言った。やってくれ、とか、やってください、じゃなくて、許可などを現す『Du darfst....』と言った。してやられた!!というのもあるし、なんでduerfenなんや!!なんで、お前に許可されんといかんのや!!というのもあって、ちょっと、かちん、と来た。

きっと、L先生は手術をゆっくり見たかったのだと思う。手術を見る事に集中するあまりに、手が全く動かない。サクションくらいはしてくれるかと期待していたけど、それもしない。途中から、本格的に頭にきて、もう、絶対、手をださせんもんね〜と決めた。そもそも、C先生が術者のときはいつも助手は僕ひとりだから、僕1人でも手術は成立する。それ以降、サクションすらさせない1助手をして、L先生は結局、本当に一回も手を出さなかった。

きっと、L先生は僕が残り少ないから、少しでもと1助手を譲ってくれたんだろう。ありがたい、と思わなきゃいけないのだろうけど。だけど、だけど。こんな人に負けた僕って。。。。


そんなこんなで、自分の器の小ささを思い知った手術でした。











完全房室中隔欠損症根治術

5ヶ月、5kgの完全房室中隔欠損症、21 Trisomy。手術はH先生、僕、Iさん。心室中隔欠損も大きくて、2 patch techniqueで。僧帽弁は普通ないところにも裂け目があって、一度離脱した人工心肺に戻って、やりなおし。小さな裂け目を見つけて閉鎖。手術は無事に終了。

今日は、Iさんの調子が悪かった。なんというか、気もそぞろで集中できていない感じ。ずっと集中できてないのではなくて、たまに、気持ちがどこかに行っている。それでも、ふと我に返って仕事を続けるのだけど、その我に返った瞬間というのは誰でもそうで、失敗しやすいタイミング。我に返った瞬間に手を動かすと、頭の中の我を失う前のイメージと、我に返った後の現実の様子が違うので、何かをしでかすことが多い。たいしたことじゃないのだけど、H先生の逆鱗にふれ、サクションを術野の外でもたされて、『ここにいろ!!』と。ちょっと可哀想だけど、H先生も何となくIさんの調子悪さに気がついていた様子。

閉胸の時にIさんは、『一つのミスで、何もするなと言われていた半年まえにもどちゃった』と悔しそうに残念そうに話していた。その気持ちわかるよ〜。一生懸命、長い時間かけて積み上げたものを、自分の小さなミスでなかったものになれる悔しさとか無念さ。『大丈夫、H先生はもう忘れているから、明日はいつものようにやれるよ』と言うけど、Iさんの悔しさはなかなか簡単には収まらない。こういうところがあるから、彼女は上手になるんだな。


こっちも日本代表。こっちも引き分け。

サッカー日本代表がワールドカップ行きを決めたとか。ニュースの文字だけ見ても、それはもちろん嬉しいのだけど、やっぱりテレビの前でドキドキしながら応援したかったな〜。何はともあれ、ガンバレ!!ニッポン!!

サッカー日本代表が戦っているとき、僕も日本代表として一生懸命、頭を下げていた。

今日の手術は、ファロー四徴症根治術後の三尖弁逆流。心房粗動もあるので右側メイズも。手術は、H先生、僕、Iさん。三尖弁は交連部を閉鎖して、弁輪縮小。メイズは、右側のみ。アルゴンを使ったクライオで。

この患者さんは4年前に根治術をうけている。開胸、剥離は僕の仕事。再手術の開胸、剥離は割と時間がかかる事もあるので、すこし前は手術が始まって少なくとも1時間はH先生は手術室にやって来ずに、僕の剥離の終るのを待っていてくれたのだけど、最近は、どんどん早くなってこちらもそれに合わせてどんどん早くやらないといけない羽目にあっている。この間は手術開始30分でやってきて剥離が進んでないことを怒っていた。怒られるのも嫌なので、一生懸命やっていた。と言っても限界があるし、やる事といえば、もう無言で、せっせ、せっせとやるだけなのだけど。今日も30分くらいで容赦なくH先生はやってきた。

今日は、まあまあやるべきところまでできたので、さすがに怒られないだろうと思っていたら、H先生は開口一番、

『遮断鉗子、どっちがだいじなんだ?!』

って。へ?と思っていると、『日本胸部外科学会と日本心臓血管外科学会だよ』。ん?いきなりなんですか?と驚きつつも『う〜ん。学会としては、ちょっとだけなんとなく胸部外科の方が上のように思ったりしたりしなかったり、、』とむにゃむにゃと答えていると,『じゃあ、いいかな〜。いかなくて。胸部外科学科にはもう招待されて行く事になっているしな。KAMAKURAは行ったことあるしな〜』。へ?いったいなんのこと?『実はな、日本心臓血管外科学会に招待されたんだよ。行かなくてもいいよな?ひとつ行けば。な?そう思うだろ?』と。

ここで人工心肺が始まって、手術の山場に入っていった。やるべき事が終って、人工心肺から離脱して、循環器の先生がエコーを見ていた。僕は手術のあいだ中、考えていた事を言った。

『H先生、日本胸部外科学会も日本心臓血管外科学会も、同じ規模の学会で日本全国の小児心臓外科医が集まります。日本の若い心臓外科医は、先生からたくさんのことを学びたいと思っています。先生はいま、きっと日本で一番有名な外国人の小児心臓外科医です(意見には個人差があります)。知っているでしょ?H先生。日本の若い心臓外科医はマフィアシステム(H先生に日本の医局のことをマフィアの組織を例にとって説明したことがあってそれ以来、僕の病院では『医局=マフィアシステム』と訳されています。ちなみに、日本の教授はプロフェッサーじゃなくてゴッドファーザーと呼ばれています。笑。)に属しているから、全部の学会に行けない。行けるとしてもこの2つの学会のどちらかし行けないんです。ゴッドファーザー(教授)だけが全部の学会に参加できるのです。だから、お願いします。どちらの学会にも参加して、話をしてください!!』

おそらく、この3年間で手術中にした発言で一番長かったと思う。ここで、僕が、行かなくてもいいですね、と言ったらきっとぐんと、行かない方に傾く可能性もあったかもしれない。そもそも、行くつもりで僕にかまをかけたのかもしれない。H先生の胸のうちはわかんないけど。とにかく、ここは引いちゃダメだ!!オレは今、日本代表だ!!と言い聞かせて。

H先生は、うんうん、と軽くうなずいた。これは。OKのときのいつもの感じ。





H先生はKAMAKURAって言っていたけど、鎌倉で学会なんて聞いた事ないよな〜。と思っていたら、開けてびっくり。第44回 日本心臓血管外科学術総会は、くまもと。熊本。火の国。くまもんの国。KUMAMOTO。熊本は僕にとっては懐かしい場所。いろいろと知り合いもいるしゆかりのある場所。そこに、H先生が招待されるのだな〜と思うと、なんだか、感慨もひとしお。飛び上がるほど嬉しい。僕は、と言うと、そのころはアフリカ。ここに残って、H先生と一緒に同じ病院の名前で学会に出席したらどんなに鼻高々〜で熊本に帰れたことか。それは故郷に錦を飾る、ということになるのだろうな。きっと、嫌われるくらいにめちゃめちゃ調子にのったかもな。そう思うと少し残念だし、寂しい気もする。でも、これで良かった、と思う。大事な事は、H先生が日本に招待されて、話をすること。




僕のなかでは引き分けだけど、ちゃんと次のステージに進めたのだから、よしとしよう。







第44回 日本心臓血管外科学術総会 2014年2月19日ー21日 

このブログの登場人物
A教授:この病院のボス。手術中の紳士的な態度もさることながら、普段の笑顔も素敵。 H先生:A教授と同じ立場のボス。手術中は吠える鬼神に化す。手術を離れるとびっくりするくらい温かい人。実はいろいろな人のことをよく考えているのはこの先生。スロバキア人。 心臓先生:定年まじかのベテラン心臓外科医。みんなの指導医で、論文の数も凄まじく、統計処理も天才的。アフリカのブルンジ人。 J先生:兄貴のような執刀医。明るくて楽しいのだけど、感情の起伏が激しくて手術中は叫びまくることも。でも、その次の瞬間には笑っている。ギリシャ人の血をひくドイツ人。2012年の8月からベルリンの小児心臓外科のボスとして赴任。 C先生:推定年齢45~48歳の女医さん。だれも本当の年齢は知らない。長くこの病院に勤めていて、J先生の去った後、ようやく執刀医の位置に。ドイツ人。 L先生:J先生の後がまで赴任してきた先生。アメリカで修行した経験あり。ドイツ人らしい慎み深いいい人。 P先生:30歳の唯一の若者。元気でいい奴だけど、ちょっと性格が悪く看護師さんからは嫌われていたりいなかったり。H先生と同じスロバキア人で、H先生の保護下にいる。やや過保護?! D君:元々はスクラブナースだったけど才能を見いだされて手術アシスタントに。
プロフィール

遮断鉗子

Author:遮断鉗子
心臓外科医のブログです。
小児心臓外科医(35歳 心臓外科 10年目)のドイツ留学記です。
2010年7月からドイツに。

毎日の手術の事を中心に。ドイツビールの紹介もしていきます。

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