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怖いもの知らずの医局改革案

大『助手』論を書くにあたって、いろいろと昔の事を思い返しているうちにふと、教授に医局改革案を提言?したことがあったことを思い出した。今考えるとよくもそんな恐ろしい事ができたなと思うけど、そのころは医局も辞めるつもりでいたし、もっといまよりも思い詰めていた、というよりも追い込まれていたから言えたのかもしれない。それはともかく、なかなか悪くない思いつきだったとは思うので、忘れないうちに書いておこうと思う。

医局にいる時には、いつになったら手術が出来るようになるのだろう?という事が一番不安だった。

トレーニングといっても確固たる目標も、トレーニングのシステムもある訳ではないし、特に僕たちはスーパーローテートになる直前の学年だったこともあるし、スーパーローテートを経験した賢い研修医が心臓外科に入局することは極めて稀で、何年間も一番下っ端を続けなければならなかった。しかも、医局を辞める人は入ってくる人よりも多く、人不足が顕著な中、かなりきつい労働条件の中で働いていた。
働くのも嫌ではないし、きついのは承知の上で始めた心臓外科なのでそれが不満ではない。しかし、心臓外科医として心臓外科医らしい働きが出来ないのは正直きつかった。術後管理も嫌いではないし、むしろ好きな方だったのでやりがいも感じていた。しかし、手術は?、となると、1年中2助手でしかも技術を向上させる機会はほとんどないまま。

医局に属している時は、1年ごとに関連病院を移動していた。1年というのはあっという間で、慣れた頃に次の病院に行かないといけない。どの病院の部長も、『もうすこし長くいたら手術させれるのだけど。次の部長はきっとさせてくれるよ』と言い訳の様な事を言って、次の病院に送り出してくれた。初めから手術なんかさせるつもりもないことは、1年間一緒に仕事をしているとわかるというのに。結局、どの病院でも手術はできないままで関連病院を一番下っ端で転々として、時間だけが過ぎていっていた。しかも、そのころ(いまでもそうかもしれないが)一番下っ端の給料はそれまでの研修医の給料を横滑りさせたもので、スーパーローテートの先生の給料より低いところもあった。毎年引っ越しすると、引っ越し代を貯めるのも精一杯で、借金しないと引っ越しできないこともあるほどお金もなかった。お金がなくてもそれほど苦しくはなかった。苦しかった事は、

僕の指導者は誰なんだろう?

と考える事だった。医局はすばらしい外科医はたくさんいるけど、指導者は一人もいなかったし、指導に関して責任を持ってくれる人はいなかった。

しかし、もし、少しでも手術ができる約束やトレーニングのシステムがあれば、どんなにきつい労働条件のなかでも心臓外科医として成長できるのではないか?と思った。



そこで考えた僕の医局改革案は以下の通りである。

①その施設の手術数の1/10の手術を一番下っ端の医師にさせる。
年間100例やっているところは、年間10例は一番下っ端の医師にさせる。

②それを守れないと、その施設に一番下っ端の医師を派遣しない。

③一番下っ端の医師は執刀数の1/10の論文を書かなければいけない
10例手術をしたら1本の論文を書かなければならない。ただし、投稿料などは医局持ち。

④論文を書かない一番下っ端の医師は規定数を書くまで手術はしてはいけない。

一番下っ端の医師が医局から派遣されなければ、それ以上の先生たちの生活は驚くほど悪くなるはずだから、どうしても一番下っ端の医師を派遣してもらわないと困る。だから、一番下っ端の医師に手術をさせなければならない。そうなると、成績は落とせないし、大切な患者さんの手術をさせる訳だから、普段からもっときちんと指導する事になる。医局としても、その分だけ論文が出来てくるので、論文の数はある程度確保できるはずである。
しかも、この条件は一番下っ端にしか当てはめられない。すると、部長以下の2番目、3番目の先生にも手術を回さざるを得ない。心臓外科医が3人の施設で一番下っ端が10例手術をしたら、2番目にもすくなくとも10例以上は手術をさせないといけなくなる。

その当時、医局全体で12の関連病院があって、約2000例の手術をしていて、約60人の医局員がいたはず(さだかではないけど)。

そうなると、少なくともとも約200例の手術が、一番下っ端の12-15人に(一番下っ端が複数いるところもあるので)回り,1人当たりでは約13例/年間となる。論文は年間20本が見込める。部長でもない下っ端でもない外科医が約35人いるので、この人たちには少なくとも年間13例以上を割り当てないといけないことになる。すると、35×13=455例で、全部あわせると約655例以上が部長以外の外科医で手術ができる事になる。これは医局全体の33%にあたり、年間に13人の心臓外科専門医を生み出すのに十分な数になる。



僕が将来教授になったらこれでやってみよう。笑。
なんて。僕が教授になる事はないので、机上の空論で終わる案ですけどね。

しかし、よくこんな事教授に言えたなと思う。その時の勇気には自分でも驚く。



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医局を辞めて見つけたもの

今日、辞めた医局の教授から年賀メールを頂いた。
僕はこの教授とは一度も一緒に働いた事もなく、教授になられて1度か2度しかあった事がない。
自分勝手に医局をやめて、教授は大変嫌な思いをしただろうと思う。想像もできない事だが。
にも関わらず、非常に暖かい言葉と励ましを頂いた。

自分のやりたいことだけを考えて医局を飛び出した。そのことに後悔はしていない。

医局から離れて、相手が教授だろうが何だろうが僕には関係ない、と思っている。
教授とかの肩書きではなく、この先生の器の大きさと暖かさに素直に感動した。

医局のなかも大所帯だし、個性の強い心臓外科医の集団なのでいろいろあるのは、たまにもらういろいろな人からのメールなどで知っている。もし僕が医局員なら、こんなことはなかったかもしれない。
医局をやめて見つけることはたくさんある。

医局について思う事

どうして医局をやめたんだろう。今日はそんな事を書いてみたいと思います。

僕の所属していた医局は日本でも数多くの優秀な医局員と有数の関連病院を抱える医局でした。多くの先輩方は非常に優秀でした。(この間、久しぶりにかつて所属していた医局のHPを見ると、動画での医局案内がアップされており、とてもよくできているのに驚きました。テレビ番組の一部を見ているような、テロップ付きのものでした。)

僕はいまの臨床研修医制度になる直前の最後のストレート入局の学年でした。医局にいる時は、もちろんどの病院にいっても一番下っ端で、24時間365日オンコール、2助手と術後管理の日々でした。それも大変に思う時はありましたが、その生活は楽しくもあり充実していたように思います。辛い事は時間が経つと忘れるせいもありますが。前述のように医局には優秀な先生が多く、他の医局や病院にくらべて、手術が下の人間に回ってくる機会は極端に少なかった様に記憶しています。自分より10年学年の上の先生たちがほとんど手術をしていないことをつぶさに知り、このまま10年この生活をして、手術をさせてもらえないのでは自分はがまんできないだろうと、医局を辞める事を決めました。10年後、自分は手術できる外科医になっていたいし、なれないならそれは自分の責任だと言える環境で自分を追い込んでみたかったのかもしれません。その延長線上に結果として留学という今の現状があると思っています。


医局をやめたのは3年近く前ですが、その当時、医局そのものにすごく不満があったわけではなく、自分の道は自分で切り開いて行きたいと、その一心でした。あの時辞めていなかったら今はなかったので、それはそれで納得してるのですが、医局をやめない人生も楽しかったかもしれないと、たまに思う事があります。

医局をやめて困った事も逆にあまりありません。心臓外科医として働けなくなるかもしれない、という不安は医局を辞めた時よりも今の方が強いです。日本国内で心臓外科医として働くのには医局をやめても、拾う神あり、でなんとかなるかもしれません。一旦、海外にでてしまうと、日本に心臓外科医として戻って仕事ができるのか?小児心臓外科なら?これは、未知の世界でこれからわかることなのでしょう。いまは、今できる事を精一杯楽しむ事だと思っています。
医局をやめて残念な事は、医局でお世話になった先生や友人と連絡が途絶えてしまった事です。メールをしても返事無し。医局を辞めた心臓外科医と連絡をしてはいけない、という決まりはなかったはずだけどなぁ
このブログの登場人物
A教授:この病院のボス。手術中の紳士的な態度もさることながら、普段の笑顔も素敵。 H先生:A教授と同じ立場のボス。手術中は吠える鬼神に化す。手術を離れるとびっくりするくらい温かい人。実はいろいろな人のことをよく考えているのはこの先生。スロバキア人。 心臓先生:定年まじかのベテラン心臓外科医。みんなの指導医で、論文の数も凄まじく、統計処理も天才的。アフリカのブルンジ人。 J先生:兄貴のような執刀医。明るくて楽しいのだけど、感情の起伏が激しくて手術中は叫びまくることも。でも、その次の瞬間には笑っている。ギリシャ人の血をひくドイツ人。2012年の8月からベルリンの小児心臓外科のボスとして赴任。 C先生:推定年齢45~48歳の女医さん。だれも本当の年齢は知らない。長くこの病院に勤めていて、J先生の去った後、ようやく執刀医の位置に。ドイツ人。 L先生:J先生の後がまで赴任してきた先生。アメリカで修行した経験あり。ドイツ人らしい慎み深いいい人。 P先生:30歳の唯一の若者。元気でいい奴だけど、ちょっと性格が悪く看護師さんからは嫌われていたりいなかったり。H先生と同じスロバキア人で、H先生の保護下にいる。やや過保護?! D君:元々はスクラブナースだったけど才能を見いだされて手術アシスタントに。
プロフィール

遮断鉗子

Author:遮断鉗子
心臓外科医のブログです。
小児心臓外科医(35歳 心臓外科 10年目)のドイツ留学記です。
2010年7月からドイツに。

毎日の手術の事を中心に。ドイツビールの紹介もしていきます。

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