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看護師の日本語文化論 (1)

看護師さんの使う日本語、特にカルテに記載する日本語は独特だというのは、多くの医療者が感じていることだと思う。変な日本語と片付けてしまえばそれまでだけど、これがなかなか、じっくり読みといて面白い。ガラパゴス化した看護師さんの日本語文化を考え、そこから透けてみる医療の姿を読み解く、日本中の看護師さんを敵に回しかねない挑戦的雑文。(続きを読む、からどうぞ。)



(カルテやいろいろな看護師さんの文章で、面白い,あるは興味深い、あるいは変な文章を募集しています。こんななんがあったよ〜というのがあれば、是非是非、教えて下さい。これは、看護雑誌の記事になる予定です。)












新人の看護師のAくんの書いた看護記録を読んでいて、この文から先に進まなくなってしまった。

『声かけするも、大丈夫と話される。』

優しくてかわいいAくんが、患者さんに『大丈夫ですか〜?』と話しかけると、患者さんも笑顔で『大丈夫ですよ〜』とお答えになったという、微笑ましい様子をこの一言に集約させたかったのか?とにかく、患者さん自身が『大丈夫』と思っていてそれを表現した、ということを記録したかったに違いない。だから、これを翻訳すると

(誰かが)声をかけたら、患者さんは『大丈夫』とお答えになった。

という事なのだけど。日本語のことをとやかく言う前に、そもそもこの情報は必要なのか?ということがどうしても不思議でならない。患者さんが『大丈夫』だと思って、『大丈夫』って言ったんだよ〜。私にそういってくれたの〜!!患者さんが『大丈夫』って言うことはすごくいいことよね〜!!きゃ〜!!素敵!!ということなのだろうか。いやいや。いくらなんでも、Aくんをそんなにバカにしちゃいけない。言っておくが、Aくんはそんなにノウテンキではないし、どちらかというとすぎるくらいまじめだから、大真面目にこの記録を書いたはずだ。きっと、この文には大きな意味がこめられているに違いない。

その謎を解くキーワードは『声かけ』か。

きっと、Aくんは、なにか記録しておかなくてはならないような『声かけ』をしたはずだ。その内容こそが、きわめて重要に違いない。例えば、以下のようなことは日常的に溢れすぎていて思わず記録するほどではない。

看護師:『ご気分はいかがですか?』→患者さん:『大丈夫』
看護師:『食事はお口にあいますか?』→患者さん:『大丈夫』

ここで、ふと気がつく。『大丈夫』は『I am OK』の意味での『大丈夫』だと思いこんでいるけど、これが大きな誤解なのかも。そもそも、丈とは中国の1丈(約180cm)という長さの単位で、丈夫とは一人前の男という意味だ。さらに孟子は理想的人格を持った人を『大丈夫』と表現している。

ここでわかった。

きっと、Aくんは、主治医である僕の印象を患者さんに尋ねたのだ。『主治医の先生についてどう思われますか?』と。すると患者さんは着物の裾を整え正座してこう言ったのだ。『大丈夫(理想的人格を持った素晴らしい人)』と。それを聞いた看護師さんは、それをどうしても僕に伝えたくて、記録したのだ。しかし、そんなことをそのまま書いてしまうと、Aくんの僕に対する好意がバレバレだし恥ずかしいし、あえて、こういうわかりにくい文章で僕にだけメッセージを伝えてくれようとしたのだ。すなわち、最初の文章を正確に訳すと

私が『主治医の先生をどう思いますか?』とお訊きしたところ、患者さんは『理想的な人格を持った素晴らしい方です』とお答えになりました。やっぱり主治医先生、かっこいい〜!!すき〜!!

とこうなるわけだ。まったく。素直になればいいのに。かわいいやつだ、Aくん。





『声かけ』は『声をかける』の体言化であって、『話しかける』の看護師専門用語。決して、イケメンに街で声かけられた、とか、あいつに声かけないとすねるから声かけといて、とかいう低俗な『声かけ』とは一線を画すのものだ。患者さんに気遣い、それを表現すること。あるいは、患者さんとコミュニケーションをはかるために話しかけることを、看護師の世界では『声かけ』と言う。そういう行為そのものを意識し大切にするために『声かけ』という言葉を使っているように思われる。看護大学の教員に聞いた話では、『声かけ』というのは学校では教えないし定義も明確ではないらしい。病院の現場でその言葉を教えられ使用し実践しているのだと思われる。

この『声かけ』という言葉の語感に違和感を感じる。患者さんに『声かけ』をする、という表現になにか冷たいものを感じる。

言葉としては、声をかける、でいいのではないかと思う。さらに、医療行為の中で、看護師さんが患者さんと話をしコミュニケーションをはかることを『声かけ』という概念で表していいものだろうか、と疑問に思う。『声をかける』というのは、そもそも一方から一方への働きかけでしかなく、行為のベクトルは常に行為の主体から外にしか向いていない。患者さんに声かけをする、というのは、看護師の持つ情報を一方的に投げかけるだけの行為であって、本来、医療の主体であるべき患者さんの存在はもはや看護師さんの行為の従属物でしかない。患者さんの状態や気持ちはどうでもいいことになる。『昨日、街でかわいい女の子に声をかけたよ〜』とバカな友人に話をされたら、『で、どうなったの?』と訊かないだろうか。声かけをする、にはその結果は含まれていないし、看護師さんと患者さんの関係で大事なのは、声かけの後のこの『で、どうなっったの?』ではないだろうか。大げさに書くとそういうことになるのだけど、患者さんに声かけをする、という日本語に少しだけ冷たくて少しだけ上から目線の印象をもつのは、そういう事なのだろうと思う。

患者さんのことを思い、声をかける、ということ自体を否定する訳ではない。そうではなくて、声をかける、と言えばいいところを、『声かけ』と動詞をあえて名詞化した上で、『声かけ』する、と、『する』をつけて、もう一度動詞にもどすまどろこしさは、時に本質をとらえにくくするし、そういう言葉のややこしさは看護師さんの世界観を少しだけゆがめている気がする。さらに、患者さんに『声かけ』しましょう、ではなくて、患者さんとお話をしましょう、の方が、暖かい看護師さんの気持ちを現していると思うけどな。






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このブログの登場人物
A教授:この病院のボス。手術中の紳士的な態度もさることながら、普段の笑顔も素敵。 H先生:A教授と同じ立場のボス。手術中は吠える鬼神に化す。手術を離れるとびっくりするくらい温かい人。実はいろいろな人のことをよく考えているのはこの先生。スロバキア人。 心臓先生:定年まじかのベテラン心臓外科医。みんなの指導医で、論文の数も凄まじく、統計処理も天才的。アフリカのブルンジ人。 J先生:兄貴のような執刀医。明るくて楽しいのだけど、感情の起伏が激しくて手術中は叫びまくることも。でも、その次の瞬間には笑っている。ギリシャ人の血をひくドイツ人。2012年の8月からベルリンの小児心臓外科のボスとして赴任。 C先生:推定年齢45~48歳の女医さん。だれも本当の年齢は知らない。長くこの病院に勤めていて、J先生の去った後、ようやく執刀医の位置に。ドイツ人。 L先生:J先生の後がまで赴任してきた先生。アメリカで修行した経験あり。ドイツ人らしい慎み深いいい人。 P先生:30歳の唯一の若者。元気でいい奴だけど、ちょっと性格が悪く看護師さんからは嫌われていたりいなかったり。H先生と同じスロバキア人で、H先生の保護下にいる。やや過保護?! D君:元々はスクラブナースだったけど才能を見いだされて手術アシスタントに。
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遮断鉗子

Author:遮断鉗子
心臓外科医のブログです。
小児心臓外科医(35歳 心臓外科 10年目)のドイツ留学記です。
2010年7月からドイツに。

毎日の手術の事を中心に。ドイツビールの紹介もしていきます。

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